
2018年12月01日 [鱗燦堂]
人に酔い、景色に酔う(1)
<遠い日の追憶>
■1972(昭和47)年8月×日
若狭・高浜に旅発つ。民宿を探しているとき、河内野郎の三人組と出会い、お互い名乗りもせず同じ部屋で寝泊まりした。すぐ仲良くなって、飯を喰い、海に出る生活をした。最初は共同生活が乗り気でなく、時間の損とばかり思っていたが、旅の思い出とは自分を解放させて、自分を酷使することであると思うようになった。今もはっきり、名前を知らない三人組を覚えているが、もう二度と会うことはカナイマスマイ。“旅人さん、それではお達者で!”という言葉を受けて、僕は加賀の方に向かった。車窓に雨が降りかかるのをみていると、なんとなく孤独が感じられた。
■47年8月×日
高浜の海辺で焼いた日焼けのおかげで身体全体がやけどであった。
僕の旅はどうしてこうもいいかげんなものなのであろう。芦原温泉で降りようかと思ったが、加賀温泉で降りた。僕は加賀の古びた城下町を予想していたのであるが、近代的な駅を出れば、はるか一面田畑なのである。なんでもいいと思い、これがまた傑作である。三つほど行き先別のバス乗り場があって、僕は最初『山中温泉』行きのところに立っていたのであるが、アベックが後ろに並びあがったので、『粟津温泉』行きに変更した。
僕は、古風な『源八旅館』に泊まった。湯は休みであったらしいが、そんなことは僕にはどうだってよかった。
二日も泊まってしまった。派手なGパンを履いて、やけどの足を引きずりながら、落ち着いた温泉町を歩いた。
■47年8月×日
加賀温泉郷から金沢に向かった。金沢まで足を伸ばして良かったと思った。ほんとにいい町である。しばらく滞在して、旅の資金を稼ごうと思った。昨夜泊まった旅館の名と同じ『そば屋源八』という名前の求人募集を新聞から読み取り、ここにしようと思った。
僕は香林坊やら兼六園を先に散歩してから駅に戻り、『そば屋源八』の所在する片町を、バスを待っている女の子に訊いた。おもしろいバッグを持ったセンスのいい娘で、美人のわりに、そして無表情のわりによくしゃべってくれた。金沢の見どころとか、僕のことなぞを訊いてくれていたが、僕は完璧にその娘にホレた。その娘はどのバスでも行くと言ってくれた。そしてこのバスに乗ったら早いですよ、と言っているところへ、彼女が乗るべくバスが来たらしく、ちょっと笑顔を見せて乗り込んでしまった。どれでも行くなら、いや行かなくてもいいから一緒に乗り込んでしまいたかったが、僕の弱気がただぼんやりと彼女を見送ることしかさせなかった。
さて、片町の源八さんであるが、主人が留守であり、その間待たされていたが、それは僕が得意とする時間であった。
ほどなく現れた主人はいい人であった。根性の無い奴は嫌いであり、赤軍派か何かかと訝ったが、僕が笑うと、もっと打ち解けてくれた。その主人が常連となっている喫茶店に行き、いろいろ話をしているうちに、僕は金沢の人間であるような錯覚に陥りそうになったが………、旅の一時の腰掛けのようなものでは困ると言い渡された。いまさら、そうだとも言えず、言葉を濁して、立ち去る機会を考えていた。「もう一度はっきりほぞを固めて来ます」と言って、僕はようやくその主人と別れた。
もう泊まれそうな旅館もなさそうだったので、土曜日のオールナイト興行を幸いに映画を見ることにした。『寅次郎、柴又慕情』である。ちょうど金沢がロケ地になっていて、僕はうれしくてうれしくて仕方がなかった。そしてその出来も、僕は吉永小百合はあまり好きではなかったのであるが、今までのシリーズで一番いいものであった。僕は否応なく、Yを思い出していた。
「来てよかった。ほんと、ほんとよ」(吉永小百合=歌子さん)
「きっと、きっとだよ」(寅)
うらやましかった。念を押して、言葉を続けるなんて、子供だけの特権だと思っていたが、大人にもそんな心情があっていいはずだと思った。
僕がYに一度でも念を押したことがあるだろうか。自分の真意に言葉が足りないと思って、二重にも三重にも言葉を重ねることがあっただろうか。僕にそういう素直さがあれば、僕はこんな苦い思いをしなくてもよかったのに。
映画を見終わって、外に出た。街がまだ朝に感づいていないその中を、歩きに歩いた。爽快であった。
結局、源八の主人が、もし勤める気がなくとも、昼飯くらいは食べに来いと言われたのにもかかわらず、僕は金沢の町を去ることにした。うしろめたい気持ちはあった。けれどそれも、僕の出発への見送りではないか。
■1972(昭和47)年8月×日
若狭・高浜に旅発つ。民宿を探しているとき、河内野郎の三人組と出会い、お互い名乗りもせず同じ部屋で寝泊まりした。すぐ仲良くなって、飯を喰い、海に出る生活をした。最初は共同生活が乗り気でなく、時間の損とばかり思っていたが、旅の思い出とは自分を解放させて、自分を酷使することであると思うようになった。今もはっきり、名前を知らない三人組を覚えているが、もう二度と会うことはカナイマスマイ。“旅人さん、それではお達者で!”という言葉を受けて、僕は加賀の方に向かった。車窓に雨が降りかかるのをみていると、なんとなく孤独が感じられた。
■47年8月×日
高浜の海辺で焼いた日焼けのおかげで身体全体がやけどであった。
僕の旅はどうしてこうもいいかげんなものなのであろう。芦原温泉で降りようかと思ったが、加賀温泉で降りた。僕は加賀の古びた城下町を予想していたのであるが、近代的な駅を出れば、はるか一面田畑なのである。なんでもいいと思い、これがまた傑作である。三つほど行き先別のバス乗り場があって、僕は最初『山中温泉』行きのところに立っていたのであるが、アベックが後ろに並びあがったので、『粟津温泉』行きに変更した。
僕は、古風な『源八旅館』に泊まった。湯は休みであったらしいが、そんなことは僕にはどうだってよかった。
二日も泊まってしまった。派手なGパンを履いて、やけどの足を引きずりながら、落ち着いた温泉町を歩いた。
■47年8月×日
加賀温泉郷から金沢に向かった。金沢まで足を伸ばして良かったと思った。ほんとにいい町である。しばらく滞在して、旅の資金を稼ごうと思った。昨夜泊まった旅館の名と同じ『そば屋源八』という名前の求人募集を新聞から読み取り、ここにしようと思った。
僕は香林坊やら兼六園を先に散歩してから駅に戻り、『そば屋源八』の所在する片町を、バスを待っている女の子に訊いた。おもしろいバッグを持ったセンスのいい娘で、美人のわりに、そして無表情のわりによくしゃべってくれた。金沢の見どころとか、僕のことなぞを訊いてくれていたが、僕は完璧にその娘にホレた。その娘はどのバスでも行くと言ってくれた。そしてこのバスに乗ったら早いですよ、と言っているところへ、彼女が乗るべくバスが来たらしく、ちょっと笑顔を見せて乗り込んでしまった。どれでも行くなら、いや行かなくてもいいから一緒に乗り込んでしまいたかったが、僕の弱気がただぼんやりと彼女を見送ることしかさせなかった。
さて、片町の源八さんであるが、主人が留守であり、その間待たされていたが、それは僕が得意とする時間であった。
ほどなく現れた主人はいい人であった。根性の無い奴は嫌いであり、赤軍派か何かかと訝ったが、僕が笑うと、もっと打ち解けてくれた。その主人が常連となっている喫茶店に行き、いろいろ話をしているうちに、僕は金沢の人間であるような錯覚に陥りそうになったが………、旅の一時の腰掛けのようなものでは困ると言い渡された。いまさら、そうだとも言えず、言葉を濁して、立ち去る機会を考えていた。「もう一度はっきりほぞを固めて来ます」と言って、僕はようやくその主人と別れた。
もう泊まれそうな旅館もなさそうだったので、土曜日のオールナイト興行を幸いに映画を見ることにした。『寅次郎、柴又慕情』である。ちょうど金沢がロケ地になっていて、僕はうれしくてうれしくて仕方がなかった。そしてその出来も、僕は吉永小百合はあまり好きではなかったのであるが、今までのシリーズで一番いいものであった。僕は否応なく、Yを思い出していた。
「来てよかった。ほんと、ほんとよ」(吉永小百合=歌子さん)
「きっと、きっとだよ」(寅)
うらやましかった。念を押して、言葉を続けるなんて、子供だけの特権だと思っていたが、大人にもそんな心情があっていいはずだと思った。
僕がYに一度でも念を押したことがあるだろうか。自分の真意に言葉が足りないと思って、二重にも三重にも言葉を重ねることがあっただろうか。僕にそういう素直さがあれば、僕はこんな苦い思いをしなくてもよかったのに。
映画を見終わって、外に出た。街がまだ朝に感づいていないその中を、歩きに歩いた。爽快であった。
結局、源八の主人が、もし勤める気がなくとも、昼飯くらいは食べに来いと言われたのにもかかわらず、僕は金沢の町を去ることにした。うしろめたい気持ちはあった。けれどそれも、僕の出発への見送りではないか。
