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鱗燦堂
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2019年06月23日 [鱗燦堂]

『父と子の旅』にこだわる橋本忍の記事を読んで

 久し振りに本を読んでいて、泣いた。涙が込み上げた。ここはドトールコーヒーの喫茶店。思わず恥ずかしく、ハンカチで涙を拭った。
 目を通していたのは、オール読物6月号の「橋本忍と『砂の器』 春日太一著」の一篇である。まさに文章を志す者の『聖典』である。泣いた。泣いた。
 松本清張の作品はほとんど読んでいる。『砂の器』も何度か映像を見たような気がする。それで最近見た中で、山本学が扮する和賀英了の父親役・本浦千代吉と幼な子の旅のシーンがとくに印象に残った。果たして、原作にこんなシーンが組み込まれていたのかと、ちょっと意外なことゆえの違和感も残った。
 その違和感が「そういうことだったのか」と解消された。父と子の旅のシーンは、脚本家・橋本忍の創造の世界が付け足されたということだったのですね。この強い思い入れを「なぜ!」と解明していったのがこの一篇です。
 なにしろおもしろい。映画のストーリーを、のめり込んでいた競輪に例えて、はじめはぶらぶらゆっくりと、そしてジャンが鳴って残り一周となったところで、強くペダルを踏み込んで前に位置取りし、さらに三コーナーではバンクの傾斜の強い頂上に駈け上がり、そこから一気に駈け下りてゴールを目指す、その波乱含みの『一気呵成』の展開を映画に移し替えようとするのである。
 次に用いるのは、『人形浄瑠璃』の世界。人形が、メインの旅をする父と子。人形が父と子の愛情を高らかに表現する。三味線がストーリーに合わせて入る音楽。語りの義太夫が捜査会議で父と子の展開を説明する今西刑事。なにゆえに父と子がさすらうように旅を続けなければならなかったのか。なぜ父と子は深い深い絆で結ばれているのか。それらが一体なって、まるで頂上から一気に駈け下りて来る競輪さながらの迫力で、演出される。ここで作者は橋本のインタヴューの言葉を入れる。「…‥そして夫婦は最後の歓喜の踊りを踊る。バックは全山が紅葉でね。これが凄く良くて、印象に残っていたんだ。これは映画になるな、と。つまり、『父子の旅』もこれと同じで、人形と三味線と義太夫、それにきれいなバックが合わさればいいんじゃないかと…。」
 そして、最後に、橋本忍の生まれ故郷・兵庫県での「生野騒動」に触れる。祖母から聞かされた昔話を加える。橋本忍と橋本忍の父親との関係性を濃密に描く。思いがけず目頭を熱くしたのは、この部分である。そこはやはり自分と移し替えてしまう。父親とめぐった兵庫県のいろんな場所。母親を早くに亡くした僕自身は、父親との時間を多く持った。その自分が兵庫県を遠く離れ、一人娘をもつ父親となった。そしてその娘との時間。娘は結婚式でのスピーチでこう言う。「はじめてわたしを抱く父親の手は震えていた。わたしを大事に思う気持ちがひしひしと伝わってきた……。」いろんな想いが交錯した。声をあげて泣きたい気持ちになった。
 この一篇は、こういう言葉で結んでいる。「−たとえどのように旅の形は変わっても、親と子の“宿命”だけは永遠である―」と。


ある喫茶店の空席。物語のありそうな空席。


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