
2019年10月28日 [鱗燦堂]
未だ途中である
昨日、「日曜美術館」のテレビ番組を見た。取り上げられていたのが「平櫛田中」。木像の彫刻家である。
ことに『尋牛』がよかった。どこかに逃げてしまった牛をさがして、老いた男性が歩いている立像である。牛はまだ見つかっていない。未だ途中である。そんな歩みを継続している姿である。岡倉天心が絶賛したらしい。
解説では「求めるべき芸術の姿」を追って歩みを止めない平櫛田中その人の姿と捉えている。
僕は長く生きてきた。おびただしいところで働き、さまざまなシーンに遭遇して、反応してきている。ひどく疲れた。率直な感想である。最近思いついたのが「マイアミに憧れて」である。アメリカ映画の『真夜中のカーボーイ』で「ダスティン・ホフマン演ずるインチキなネズ公が、いつかは光りが溢れるマイアミに行きたいと思いながら、白いスーツを着てイキがりながらも都会の片隅でどぶネズミのように生きている、そんな姿が思い出された。僕にとっての「マイアミ」は何んなのだろう。強烈に胸に宿しているものは何んなのだろう。そんなことをずっと考えていた。そこへこの『尋牛』である。ふと何か回答が示されたような気がした。手に何も持たず、「牛」をさがして、歩みを止めようとしない年老いた男性の姿。
ことに『尋牛』がよかった。どこかに逃げてしまった牛をさがして、老いた男性が歩いている立像である。牛はまだ見つかっていない。未だ途中である。そんな歩みを継続している姿である。岡倉天心が絶賛したらしい。
解説では「求めるべき芸術の姿」を追って歩みを止めない平櫛田中その人の姿と捉えている。
僕は長く生きてきた。おびただしいところで働き、さまざまなシーンに遭遇して、反応してきている。ひどく疲れた。率直な感想である。最近思いついたのが「マイアミに憧れて」である。アメリカ映画の『真夜中のカーボーイ』で「ダスティン・ホフマン演ずるインチキなネズ公が、いつかは光りが溢れるマイアミに行きたいと思いながら、白いスーツを着てイキがりながらも都会の片隅でどぶネズミのように生きている、そんな姿が思い出された。僕にとっての「マイアミ」は何んなのだろう。強烈に胸に宿しているものは何んなのだろう。そんなことをずっと考えていた。そこへこの『尋牛』である。ふと何か回答が示されたような気がした。手に何も持たず、「牛」をさがして、歩みを止めようとしない年老いた男性の姿。
