
2022年09月18日 [鱗燦堂]
左サイドブローを強く打て!
映画『AKAI』をみた。一週間が経って、『AKAI』が『AKAI!!』になった。名伯楽エディ・タウンゼント』のボクサー赤井英和を叱咤激励する言葉が、脳裡でリフレインするようになった。「赤井!左、左ね。もっと足を使って!赤井!」
映画『AKAI』は、映画『どついたるねん』をみてから俳優・赤井英和のファンになった僕にとっては、見なければならない映画だった。仮に失望する結果になったとしても、青春の一時期を大阪ナンバから発着する南海電車の、その沿線に住んでいた僕にとっては、街の風景を味わえるだけでもみっけもんと思っていたのである。たしかに通天閣界隈の賑わいの映像は、僕をうれしくさせた。
映画をみて、強く脳裡に焼き付いたことは2点。
1点目は、なんといっても建て毀しが決まり、しばしの間、廃屋となる『大阪府立総合体育館』に、生命が危ぶまれる大手術から生還した赤井英和が、開頭した傷口を隠すように野球帽をかぶって、訪れるシーンである。「職業ボクサー・赤井英和」ともう呼べない時期である。誰もいない廃屋に入るなり、「オレ、こんなカビ臭い、汚いところが好きやねん」という。大観衆で埋め尽くされ栄華を誇った大阪府立総合体育館が見る影もない姿をさらしている。
赤井は控え室として使っていた小さな部屋に入る。そこは子供たちが悪さをしたあとなのか、あちこちに白い紙屑が散らかっている。赤井はそれを気にも留めない。「これなぁ、あんときも試合前にここでこうやっていた」と、大きな鏡の前に進み出て、シャドーボクシングを繰り返す。「今でも四回戦からやれ!!言われたら、やれるで!!」 サイドステップを踏みながらシャドーボクシングを繰り返す。その流れるような動き。
連打を繰り返し、左にステップして、想定する相手の脇腹をねらって左サイドブローを見事にたたき込む。すばらしい左サイドブローだった。この印象はとっても強い。この一撃がこの後の赤井英和を錆びつかせることのなかった所以でもあろう。
もう1点は、現在形の赤井英和の映像である。息子が構えるカメラの前で、当時を述懐していろいろ解説する。「ちょっと、ええか。ちょっとトイレに行ってくるわ」 この映像をカットせずに残したことである。これはなんとも『赤井英和』であった。地域のお年寄りが頼りにしてやってくる病院で手際よく助手を務めている、その赤井英和の文句のつけようがなく表現された優しさである。なんなのだろう。『THE(ジ)・赤井英和』とでも言えるような、気遣いである。周囲への気遣いが如実にあらわれたシーンでもある。これが『赤井英和』と唸らされた。
映画『AKAI』は、映画『どついたるねん』をみてから俳優・赤井英和のファンになった僕にとっては、見なければならない映画だった。仮に失望する結果になったとしても、青春の一時期を大阪ナンバから発着する南海電車の、その沿線に住んでいた僕にとっては、街の風景を味わえるだけでもみっけもんと思っていたのである。たしかに通天閣界隈の賑わいの映像は、僕をうれしくさせた。
映画をみて、強く脳裡に焼き付いたことは2点。
1点目は、なんといっても建て毀しが決まり、しばしの間、廃屋となる『大阪府立総合体育館』に、生命が危ぶまれる大手術から生還した赤井英和が、開頭した傷口を隠すように野球帽をかぶって、訪れるシーンである。「職業ボクサー・赤井英和」ともう呼べない時期である。誰もいない廃屋に入るなり、「オレ、こんなカビ臭い、汚いところが好きやねん」という。大観衆で埋め尽くされ栄華を誇った大阪府立総合体育館が見る影もない姿をさらしている。
赤井は控え室として使っていた小さな部屋に入る。そこは子供たちが悪さをしたあとなのか、あちこちに白い紙屑が散らかっている。赤井はそれを気にも留めない。「これなぁ、あんときも試合前にここでこうやっていた」と、大きな鏡の前に進み出て、シャドーボクシングを繰り返す。「今でも四回戦からやれ!!言われたら、やれるで!!」 サイドステップを踏みながらシャドーボクシングを繰り返す。その流れるような動き。
連打を繰り返し、左にステップして、想定する相手の脇腹をねらって左サイドブローを見事にたたき込む。すばらしい左サイドブローだった。この印象はとっても強い。この一撃がこの後の赤井英和を錆びつかせることのなかった所以でもあろう。
もう1点は、現在形の赤井英和の映像である。息子が構えるカメラの前で、当時を述懐していろいろ解説する。「ちょっと、ええか。ちょっとトイレに行ってくるわ」 この映像をカットせずに残したことである。これはなんとも『赤井英和』であった。地域のお年寄りが頼りにしてやってくる病院で手際よく助手を務めている、その赤井英和の文句のつけようがなく表現された優しさである。なんなのだろう。『THE(ジ)・赤井英和』とでも言えるような、気遣いである。周囲への気遣いが如実にあらわれたシーンでもある。これが『赤井英和』と唸らされた。
