
2018年10月23日 [鱗燦堂]
上野毛の駅の近くの通りを歩く
仕事で『上野毛』に行った。四十数年前に吉行淳之介氏宅の玄関ポストに自作の原稿を放り込みに行って以来である。(この件は、のちに「甘ったれるのもいいかげんになさい。私に対してという意味ではありません」という強烈なお叱りの手紙をいただいた)
そういうこともあって、『上野毛』の駅に降りるのを楽しみにしていた。わくわくどきどきである。と言っても、四十数年前に一度しか行っていないので、記憶にまったく残っていない。駅を降りてから、右に行ったか左に行ったかさえも、覚えていない。
町を歩いた。とてもなつかしい空気感があった。メイン通りを歩く人はお年寄り(自分のことはさておいて)が目立つ。冷たい大気があり、お正月と錯覚するほどの、のどかな、やわらかな空気感が漂っていた。うれしい、うれしい空気感である。思わず写真を撮りたいと思ったが、どのアングルでどう撮ったらいいのか、わからない。とりたてての風景はないのである。どこをどう切り取っても、感じが違う。ようするに、この空気感がとても気に入っているので、写真とは相容れないことに気づいた。(そんなわけで、写真は帰りに立ち寄った三軒茶屋の街角の柱の飾り絵)
そういうこともあって、『上野毛』の駅に降りるのを楽しみにしていた。わくわくどきどきである。と言っても、四十数年前に一度しか行っていないので、記憶にまったく残っていない。駅を降りてから、右に行ったか左に行ったかさえも、覚えていない。
町を歩いた。とてもなつかしい空気感があった。メイン通りを歩く人はお年寄り(自分のことはさておいて)が目立つ。冷たい大気があり、お正月と錯覚するほどの、のどかな、やわらかな空気感が漂っていた。うれしい、うれしい空気感である。思わず写真を撮りたいと思ったが、どのアングルでどう撮ったらいいのか、わからない。とりたてての風景はないのである。どこをどう切り取っても、感じが違う。ようするに、この空気感がとても気に入っているので、写真とは相容れないことに気づいた。(そんなわけで、写真は帰りに立ち寄った三軒茶屋の街角の柱の飾り絵)
